先日、大阪で友人たちと集まった際のこと。
みんなの関心は「何はじめたの?」でした。

終活って死んだらどうするかって決めておくアレでしょ。まだ若いんだしそんなの考える必要ないよ。

てみんな心配してくれるねんけど、別にお墓のこととか死んだときどうしたらっていうのを決めとくだけが終活と違うんやで。

えっ、ほんだら何なん?

どっちかっていうと、残りの人生をどう自分らしく生きていくかっていう活動やな。

???

もちろん、残された人が困らんようにいろいろ決めとくの大事やで。でもそれ以上に自分の人生も大事やん。自分がどうしたいかを考えて行動するってことよ。

でも、それやったら毎日やってることと変わらへんやん。

せやな、自分のやりたいこと毎日できてるんやったらええと思う。私の場合は40過ぎてあと人生だいたい半分やなぁと思ったから残りの人生はやりたいことをやっていきたいなと思って・・・

例えば?

会社辞めて独立するとか、自分史上最高に痩せるとか、日本だけでなく海外にいても働けるとか。

結婚ないんかい!(笑)でも、もうやってるやん。

うん、まだ全部やないけどこれが私の終活やで。これも残りの人生を意識せえへんかったら、ここまで具体的に決めてないよ。

そういうことね。毎日ぼーっと過ごしてるつもりはないけど、自分のためにと思って考えては過ごしてはないなぁ。

距離をわからんと走ってるより、もう半分、まだ半分って距離がわかって走るほうが安心やし、自分の力も出し切れるやん。そういう目線で少し自分のことを考えてほしいわけよ。

私らが阪神淡路大震災の20年後からまた毎年再会しだしたのも、終活の一環やん。

たしかに、いつか会おういつか会おうじゃいつまでたっても会えないからってね。なるほど、死ぬときに後悔しない、先延ばしにしないためにも、自分の最後を意識するって大事やね。

そう「照れずに向き合う」そんな気持ちでみんなに〝終活”をすすめるワケよ。
終わりを意識するだけで行動が変わる。そこに気づけて行動できることが自分らしく生きる行動=終活だと思うのです。