菩提寺があることすらわからない、自分の家の宗派すらよくわからない。

でも亡くなったときには手を合わせてお経をあげてもらいたい・・・そう思う人は多いはず。私もその一人です。

だったらお坊さん便でいいのでは・・・?

私もそうかなと思ってました。

でも、そんなに簡単に割り切れるものではなかったんです(うちの場合)

 

お寺さんは好きじゃない、でもお経はあげてほしい

母親と終活について話あったときのこと

おかん

お葬式は簡単でいいけど、お経だけはちゃんとあげてほしいねん

おじいちゃんとこの菩提寺さんに頼んだほうがいいの?

おかん

あそこには頼まんでいい(強めに)

ほんだらどこに頼んだらええねん!

 

結局、結論出ずにこの日は終わりました。

でも、このことからお寺は信用していないけど、教えは信じているのだなと。母の唯一のこだわりがそこだったので、本当だったら菩提寺さんとのつながりがあって、個人的にもよく知る住職があげてくれるといいんだけどなぁ。
 

祖父の菩提寺に頼みたくない理由

特に嫌な理由もないとおもうのですが、腑に落ちない感が大きいのだとおもいます。

例えばこんな理由。

  • 祖父(父方)の家は付き合いはあるけど自分たちは分家で法要以外につきあいがないから
  • お布施をたくさん求められるイメージがあるから(祖父や叔父が檀家としてお布施をしているが自分たちはそこまではちょっと・・・)
  • 自分たちのお墓はそのお寺とは関係のないところに建てたから
  • 今の住職を小さいときから知っている(法話とかできるのかしら?と思ってしまう)
  • 菩提寺のルール(?)が曖昧

自分たちも選択を縛られたくないし、子供にもその選択を押し付けたくないといったところでしょうか。決して嫌いではないと思うのです。
 

求む!「かかりつけ寺」

菩提寺さんはもちろん本来「かかりつけ寺」なんでしょう。

でも今の菩提寺さんって法事や葬儀の時に接するだけで、地域の人の心のより所的な役目ははたしてないところが多いんだと思います。

そのうえ、「坊主丸儲け」イメージがあるから、地元の人にかぎって嫌われていることが多いんですね。

一生懸命人々のために尽くされている方もいるだろうに、なんだかもったいないというか、切ない。

核家族化がすすんで、家族がずっとひとところに住み続けるとは限らなくなった今。

もう自分で「かかりつけ寺」を選びなおしていいんじゃないかと思ってます。

求む!親身になってもらえる、信頼できる「かかりつけ寺」「かかりつけ住職」
 

普段からつきあえるお寺を探しに行こう!

この本を読んだことも影響していますが、

聖の社会学 (イースト新書) [ 勝桂子 ]

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お寺消滅? 葬式はAmazon、お墓不要な現代日本でお寺と人々を救う「聖」とは? | ダ・ヴィンチニュース

 

仏の教えを民衆に伝えようとする人たちを本書では「聖」と呼んでいる。聖とは、宗派の教えや僧侶としての地位をきわめることよりも、苦悩する人々に仏の教えを活かす術を伝えることを、主たる課題として生きる人たちだ。

自らを犠牲にして、苦しむ人に尽くしてくれている僧侶のかたもいるはず。そういうところにぜひ積極的にかかわって、サポートしていきいたいと思うのです。

んっ、これって檀家制度と一緒か。ネオ檀家制度?

これからは一周まわって自分でお坊さん(かかりつけ僧侶)を選ぶ時代になると、少なくとも自分はそうします。

生きがいがないと嘆く高齢者の社会とのかかわり、コミュニケーションの受け皿にもなってくれると思うのです。

よし!だったらそういう僧侶やお寺を探していこう。

どうやって見つけていくかは追って書いていこうと思います。